ご挨拶 etc.
・東京青山通り工房のページへ訪問していただき、ありがとうございます。
・ハンドメイド作品「パワースポットインテリア」を作成しています。
・簡単な自己紹介をさせていただきます。
★作品の作成進捗を中心に発信しています。
Instagram
https://www.instagram.com/seasidewind310/
twitter
https://twitter.com/seasidewind310
blog
http://seasidewind.jugem.jp/
hp
https://seasidewind.com/
飾り玉との出会いは「昭和」の時代からでした(笑)
・私と飾り玉との出会いは、母が小平市で開催された教室で習い持ち帰った作品だと思います。
・小学生で遊び盛りの私には、作品に対しては特に感想や思い出はなく、私の興味対象外でした。
・でも不思議と記憶には残っていたようです。
・上記はだいたい、大阪万国博覧会が開催された1970年(昭和45年)頃の話です。
・時は経過し、SNSで情報収集したり発信する生活になりました。
・偶然にもあるサイトで作品を見つけ、幼少の頃を思い出し、自分も習いたくなりました。
・すぐに行動に移し、日本の伝統工芸を受け継ぐ流派の教室に通いました。
・その後6年間、課題の作品を作り続け、上級者クラスを卒業しました。
※母との話は追記に続く・・・
・今は作り手としては未熟であることを自覚し、日々修行をしています。
・また、instagram、twitterなどのSNSで発信しています。
作品の魅力とコンセプト
・作品名はパワースポットインテリアと言います。上部の天然石サークルと下部の飾り玉から構成されます。
・天然石サークル→石言葉が発するメッセージ、飾り玉→糸のグラデーションがもつ色彩美。
・これらに加えてハンドメイド作成の楽しさを皆さまと共有したいです。
・作品コンセプト=飾れば夢や願いが「目標」にかわるです。
・皆さまの夢や願いに添える作品を作りたいです。
東京青山通り工房について
・名前から連想されてしまうと思いますが、東京青山の地に工房としての実態はありません。
・創作活動は机ひとつあればできるので、自宅はもちろん、街のカフェも工房となります。
・いつもは、何人かの仲間と共にそれぞれの自宅で土台となる飾り玉を作成しています。
・そして、いくつか完成したら、その飾り玉を持参してカフェに集まります。
・そのカフェが、東京都港区から渋谷区にかけて通っている青山通り沿いのカフェです。
・そのカフェで、各人が作った飾り玉の品評会を開いています。
・その後、工房長が自宅へ持ち帰って、飾り玉の上に天然石の飾り付けをして完成させています。
・そのカフェが点在する青山通りが、工房の名前の由来です。
作品:パワースポットインテリアに対するこだわり
・飾り玉は糸のグラデーションの色彩美をうまく引き出せるよう技術や経験が必要となります。
・そのため、日々、短時間でも修行(作成)しています
・天然石は輝く美しさと石言葉が発するメッセージが多様で、それらを勉強し習得しています。
・作品のデザインは独創的だと思い、特許庁より意匠登録番号を取得しています。
▼下部の飾り玉のデザインは「92面体交差花」
お伝えしたいこと
・あなたの夢や願いは、「目標」を定めていますか?
・パワースポットインテリアはハンドメイド作品です。
・繊細な飾り玉作品の場合には1,2カ月かかります。
・完成目標日を定めてコツコツ、一歩一歩前進させて作ります。
・そして、完成=目標達成に至ります。
・あなたの夢や願いも、目標を定めて、一緒に達成しましょう。
・そんな想いが、作品を通して共有できたら嬉しいです。
追記 母へ感謝
冒頭、教室に通って作成方法を習得したと書きました。
このことは晩年の高齢の母と私との良いコミュニケーションにもなりました。
なぜなら、作成途中あるいは完成品を母に見せて二人の間で共通の話題があったからです。
(ちなみに私の子供達は、まったく興味を示しません。)
その度に母は、驚いて「凄い、私が作ったのはそんなに精密でなかった」と言ってくれました。
私も技術が向上していることが実感でき、親子の平和なひと時でもありました。
いつしか私は心の中で、卒業課題の「92面体交差花」(先述の写真の作品と同等)を見せて驚かせてやろう、と密かにワクワクしていました。
その卒業課題は教室で習う一番時間がかかり精密な作品だからです。
また、母が飾り玉に対して持つイメージからは、超越する精密なものだともいえます。
でも、その母は卒業課題の1作品前で、あの世へ旅立ってしまいました。
あと1ヵ月長生きしていたら、またまた母の驚く顔が見れたのにナ、と思ったりしています。
そして、伝えることができず残念なのが、あの時飾り玉を見せてくれた母への感謝の言葉です。
昭和の時代までさかのぼる親子の話でした。
(寂しさよりも、長生きしてくれた感謝の念が上回っています)
ご精読、ありがとうございました。